じっとりと湿った洞窟の中は冬のムロタウンよりいくらか暖かい。この先にいてくれますように、願いごとのように心の中でつぶやきながら足場のわるい洞窟を歩いていく。そうでないと、ここまで来たわたしはバカみたいだ。返答がないインターフォンの前で、さっさと諦めてしまえばよかったのに。どうしても確かめたくて、彼のお気に入りの”いしのどうくつ”にやってきた。
 普通に考えれば今日という日にこんなところにいるはずがないけれど、もしかしたらという思いが諦めを悪くさせた。結局、ちゃんと確かめずにはいられなかった。ようやく見えてきたほのかな明かりにわたしは心底安心した。砂利を踏む音は耳に届いているはずだけれど、熱心に石を探す彼は振り向かない。
 ダイゴさん。その広い背中にそっと呼びかけると、きょとんとした顔のままこちらを向いた。
「…やあ、きみか。どうしたいんだい?」
「外はクリスマスですよ。こんな日に何も洞窟にこもらなくても…」
「はは、やっぱりそう思うよね」
 他の人にもそう言われたことがある口ぶりだ。ダイゴさんは立ち上がるとぽんぽんと膝の土汚れを払った。
「きみにこんなこと話すのは変かもしれないけど、大人になるとね、周りから誰かいい人いないのかーって言われるんだよ。それが顕著になるのがこの時期」
 ずっとしゃがんでいて固まった体をリセットするために伸びをしながら退屈そうに言った。
「いつも適当に誤魔化してたんだけど、その声にいちいち答えるのが億劫になってきて、だったらいっそのこと誰にも会わないところへ引きこもって好きなことしてた方がよっぽどいいと思ったんだ。発想が子どもだろ」
 カッコ悪い大人だよね、とダイゴさんは自嘲を含んだ笑い方をした。
 たしかにダイゴさんはそういうことをせっつかれる年頃だろう。同じ年頃の人で結婚して子供がいる人は世の中にたくさんいるから、周りが期待したり勘繰ったりするのは自然なことなのかもしれない。
 わたしはダイゴさんに恋人がいないことがはっきりして安心していた。やさしくて、頼りになって、顔が整っていて、おまけにチャンピオンで大会社の御曹司。あますところなく魅力的な人なのだ。わたしのように焦がれる人はたくさんいるだろうし、わたしより大人なのだから、とっくに誰かのものだと思っていた。
「そういうことなら別に…いいと思います。どう過ごすかなんて自由なんだし」
 わたしが出せる精一杯の返答だった。安心したのはいいけど、何の展望も持てないのもわかってしまった。恋人の話題をふられるのが億劫でここまで逃げてきたということは。到底、恋愛など今はするつもりもないだろう。
「そ、そうかな。よかった、随分気が楽になったよ。他の人には笑われるのがオチなんだよね」
 大人の愚痴を聞いてくれてありがとう。ダイゴさんははにかんで頭をぽんぽんと撫でた。
 ああ、やっぱり相手が子供だから、変な勘ぐりとかしないと思っているから、取り繕わないで何でも言えるんだろうな。嬉しいようで、少し悲しい。気づかれないように、小さいため息をついて肩を落とした。わたしの様子にダイゴさんはやっぱり全然気づかないで、急に何かひらめいたように人差し指を立てた。
「こんな僕が聞くのはおかしいけど、ちゃん、今日このあと予定はある?」
「いえ、特にないです。…ダイゴさんと同じ」
「そっか! じゃあ君さえ良ければ一緒に石探しするかい?」
 デートではないけれど、今のわたしには十分すぎるお誘いだった。一緒にいられるならなんだっていいや。投げやりでもあるし、切実でもあった。
「今年は1人じゃないから、とても楽しいね」
 嬉しそうにささやいたその言葉で、沈みかけた気持ちは少し救われた。ライトの明かりで照らされたダイゴさんの目はきらきらと輝いて綺麗だ。この人の特別になるにはどうしたって遠すぎるけれど、その瞳にわたしの姿を一時でも長く収めていてほしい。
 街の光なんか届かない洞窟で、わたしはまたひとつ彼とのことを心に刻んだ。

初稿 20200612