そのきれいな瞳はいつも
あの人だけを見ている
きみにとって最愛の人


 任務から帰ってきた俺をがステレオの調子がおかしいから見てほしい、と呼び止めた。俺は他のヤツなら軽く断っていたが、他ならないの頼みだ、疲れていても聞いてやるしかない。それにもしの頼みをぞんざいに扱ったことがボスに知れたらどやされるのは俺だ。作業をしながら適当な会話をしていると、がボスの様子を聞いてきた。どうやらボスはここ数週間ほど自宅に帰っていないらしい。俺自身もアジトに帰ったのはしばらく振りだ、ボスとはかれこれ一月以上顔を合わせていない気がする。まあ、団員である自分にとってそんなことはごく当たり前で、日にちを数えることに意味はないのだが、俺たちと違いはボスの本当の身内なんだから気がかりなのは当然だろう。
 昨日今日の話じゃないけどな、と前置きをして、目線はステレオをいじる手に落としたまま、ボスの近況をつらつらと喋ってやった。傍でその様子を見ているであろう少女の相槌を打つ声は心なしか嬉しそうだ。

「ボスはお前をいっつも褒めてるんだぜ、さすが俺の姪だってな」
「ほんとに? うれしいなぁ。おじさん、私の前では絶対褒めてくれないの!」

 予想外の事実がよほど嬉しかったのか、声が一段と弾んだ。俺が知る限りでは、ボスの口からの名が出ない日はほとんどない。世間に恐れられる犯罪集団の首領が、所詮は人の子ということか、自分の姪っ子に関してはどこまでも甘いのだから、まったくおかしな話だ。

「よし、これでとりあえずは大丈夫だろ」
「わあ、ありがとうマチスさん! 任務で疲れてたのに無理言ってごめんね」

 以前はこの人懐っこいの相手をするのは気乗りがしなかったが、望みを叶えてやったあとにはこの笑顔が見れるのだから、最近ではそう煩わしく思うこともなくなった。むしろ懐かれるようになってくると単純な俺は気分が良かった。
 この組織内で俺以外にを気に入っているヤツは多い。幹部から下っ端にいたるまで、彼女を慕っている。彼らはコイツの笑顔を見ると、どれだけきつい任務をこなした後でも途端に締まりのない表情になってしまう。慕われる理由は首領の血縁だからというだけではない。人懐っこい性格ももちろん好かれる理由だが、何よりつねに相手が幹部だろうと下っ端だろうと、他人のことを気遣い、同じ立場に立ってものを見る。それは一見誰にでもできそうに思えて、実は意外と難しいことだ。少なくともこの組織の中にはいないタイプの人間だった。
 だから団員の士気を上げるにはコイツの言葉が一番効く。有り体に言えば利用している、ということに他ならないのだが、はそれをわかっていながらボスのために助力している節がある。血のつながりがそうさせているのか、それとも別の思惑があるのか、俺には分かりようがない。俺から見ればは悪人にしておくにはもったいなすぎるくらいの、ただの可愛い嬢ちゃんだった。(あと5年もすれば相当いい女になるだろうと、つねづね思う)

「ねえマチスさん、今度おじさんに会ったら無茶しないように言っておいてくれる?」
「いつも鍛えてるんだから多少の無茶は何ともないだろ」
「体のこともだけど、私が心配なのはもっと他のこと」
「ボスが捕まっちまうんじゃないかってか? ―― 愚問だな」

 はボスの一番の理解者で、一番の味方だ。そしてボスのことを一番信頼しているのも、だ。その地位は俺たち部下には決して取って代わることはできない。しかし、ときどきこうして心配する素振りを見せる。いつも心の内では不安を抱えているだろうが、その心情を言葉にすることは滅多にない。普段のはボスを心底信頼していて、はたから見ればそれは崇拝に近いものを感じ取れる。どんなことであれ、ボスに対する”不安”を口にすることなど、下っ端の部下たちの前ではありえないことだ。それを今日はわざわざ俺にはっきりと尋ねてきた。おそらく相当心配が募っているということだろう。俺はその不安を拭い去ってやるために、ボスならこう答えるだろうと思う答えを言ってやるしかできない。

「…おじさんに直接今のセリフ言ったら、今のマチスさんと同じこと言うんだろうなあ」

 はそう言いながら苦笑をもらした。もっとも、納得したような様子で振舞っているが、俺の言葉など大した気休めにもならないだろう。が欲しているのはボス自身の口で語られる言葉だ。俺の言葉を聞き入れたかのようにみせて、本当はどこかへ押しやっているのだろう。ただしは相手に気付かれないようにやり過ごすのが上手い。俺も表面上では気付いていないフリをする。短いやりとりなのに、小骨が喉に引っかかって取れないような、もどかしくて歯がゆい思いを抱かずにはいられない。
 しかし、そんなつまらない感情は自分だって胸の奥底に押し込めた。

「心配すんなって。あの人はお前を残してのこのこ捕まるような人じゃねぇよ」

 俺はの目線まで低くかがんで、頭をぽんぽんと撫でながら言いきかせた。今度は俺なりの気遣いから出た言葉だ。他人にこんな言葉をかける自分など、普段ならむず痒くて仕方がないのだが。なぜかにだけは、心をいくらでも砕ける気がした。コイツを大事にしているボスの気持ちもわからなくもない。ボスは身を案じてくれる存在がいて嬉しいのだ。そして俺はコイツが笑うと、それだけで気分がいいんだ。ボスがいないときぐらいの笑顔は俺が守ってやる、勝手に抱いた使命感ですら俺は誇らしく思える。

「そうだね…ありがとう、マチスさん」

 この言葉が本心から出たものであろうとなかろうと、思わずはにかみそうになる自分がいた。これじゃあ下っ端のやつらと何にも変わらない。こんな小娘に振り回されるなんぞ随分滑稽だな、とひっそり自嘲した。

 まあコイツになら、振り回されるのもそう悪くない気分だ。

その瞳にあの人しか
映さなくてもいいから
どうか笑っていて



09.3.1初出、19.9.6改稿