僕のあやまち



、久しぶり」
「…シゲル、くん」
 立ち寄ったポケモンセンターで懐かしい姿を見つけた。同じマサラタウンから旅立っただ。数年振りに見る幼馴染の顔はすっかり大人びていて、周りの雰囲気も違って見えた。旅立った頃はほとんど同じだった身長も今は僕が随分追い越してしまっている。呼び止めたの元へ歩み寄ると、少し緊張しているのか一瞬体をこわばらせたように見えた。
「セキエイで会って以来、かな?」
「えっと、そうだね…もう、5年振りくらいかな?今は研究者をやってるんだったよね」
「そうなんだ。この5年でいろいろ変わったよ。まあ数年も経てば当然だけどね」
「なんか…雰囲気も変わったね、シゲル君」
「はは、よく言われるよ」
 そう思われるのも無理はない。今の自分は随分変わったという自覚はある。もっと良い言葉で表現するなら”成長した”と言えるだろう。世の中で自分が一番優れていると思っていた時期があったなんて、今の僕にしてみれば目も当てられない過去だ。おじいちゃんに認められたい一心で、なんとか気を引こうと必死だったのかもしれない。
 その巻き添えになっていたのがサトシと、このだ。サトシは負けじと対抗心を燃やして向かってくるものだから、傷ができるようなケンカも耐えなかったけれど、一方では違っていた。僕がどれだけ彼女をバカにしたり挑発したりしても、決して言い返そうとはせず、僕の愚行にぐっと堪えていた。それなのにあの頃の僕はどうしようもない悪ガキで、繊細ながどれだけ傷ついていたのかなんて考えもしなかった。
 昔のことを少し思い出して、心の中で苦笑する。彼女はそんなこととは露知らず、久しぶりすぎてびっくりしちゃった、と僕から少し視線を外しながら呟いた。対象的に僕は目の前のを見つめた。最後に会ったセキエイ大会の頃、ひとくくりにしていたロングヘアはばっさりと切られていて、顔立ちもかなり変わっていることに気づく。よく一目でだとわかったものだな、と自分自身に感心した。なんというか、月並みな言葉だけれど、彼女はとても”綺麗”になった。年頃の女の子らしく気を使っているのか、年相応のお洒落もしている。幼い頃、一緒に泥だらけになっていたから今の姿は想像できない。その変化が会っていない年月の長さを感じさせた。
「変わらないのは私だけね、サトシもシゲル君も変わったよ」
 そんなことはないだろう、彼女だってこの数年で色んな経験を積み努力して成長しているに違いない。自分を過小評価する必要はないはずだ。僕が思いを巡らせて反応が遅れた様子を、気に障ったからと思ったのか、もちろんいい意味だよ、と焦って言葉を足した。
 昔から自分の言葉が相手の気分を損ねないか随分気にする性質だったなと思う。繊細で、いじらしいくらい優しい彼女。心配そうに視線をよこす彼女に何ともないよというように笑いかけた。
「君は優しいところは変わらないみたいだね」
「え、優しいかな私…?」
「そうだよ。変わったところといえば、すごく綺麗になった」
 素直に思っていたことを告げるとは分りやすく狼狽した。頬を真っ赤に染めて、困ったように笑うしかできないようだった。こんな初々しい反応が見られると思っていなかったから、妙な照れくささがこみ上げてきて体温が上がったような錯覚を覚える。綺麗だとか、昔は大勢の女の子に数え切れないほど言ってきたセリフだったのに。こんなリアクションだって何度も目にしてきたのに。その相手がだというだけで、僕の目にはとても新鮮に映った。
 気障なところは変わらないね、なんて言われたものだから僕も困ったように笑うしかなかった。ようやく、から伝わってきていた緊張感がゆるんだ気がした。僕はそれに少しほっとした。

◇ ◇ ◇

 不思議なことに、かつては”いじめっ子”と”いじめられっ子”の関係でも、同郷の幼馴染に久しぶりに会えば積もる話もある。ロビーのソファーに腰を落ち着け、しばらく自分が今何をしているのかを互いに話し合った。はシンオウのジムを回りながら、ブリーダーの勉強をしているらしい。いずれは育て屋を開きたいのだと、昔サトシから間接的に聞いた気がする。そうして話題はどんどん過去に遡り、リーグに挑戦していた頃の話になった。そこで話題の中心が自然とサトシのことになった。
「サトシとはリーグの後にも会ったかい?」
「うん、何度か。連絡はよく取り合ってるから」
 その返答を聞いてサトシの話を振ったことを僅かに後悔した。僕たちの間には何の音沙汰もなかったのに、サトシとはつながっている。自分から言い出したのに勝手な感情だとは思うが、その事実に心穏やかではいられなかった。それに、サトシのことを話す彼女の表情は心なしか柔らかくなったような気がして、そんな些細なことにまで胸の奥にツキンと針がさしたような気持ちになる。さざ波を立てている心の中を悟られないように、できるだけ平静を装って会話を続けようとした。
「…へえ、そうなんだ。知らなかったな」
 確かに元々サトシとは昔から仲がよかった。今思えば彼らはどこにでもいる、普通の幼馴染のようだった。僕にはそれが弱い者同士が馴れ合っているように見えて、気に食わなかった。もっと突き詰めて考えてみれば、僕よりサトシが選ばれて、にとってはサトシの方が大事だという事実が単純に許せなかったのだ。
 サトシとの仲のよさはお互いを呼び捨てで呼び合うところにも表れている。僕はいつまでも「シゲル君」だった。彼女に名前を呼ばれるのは嫌いじゃない、だけどその呼び方にいつも不満が募る。過ごした年月は僕らはほとんど変わらないのに、サトシのように呼び捨てで呼ばれることはなかった。
 サトシとが2人でいる姿を想像して、胸のざわつきがうるさくなる。
 自分では抑えきれない何かの力が働いたように、勝手に僕の口を割って飛び出した言葉は優しいようで、冷たい響きを持っていた。
「今度は僕にも連絡くれよ。今マサゴタウンの研究所で手伝いをやってるから、近くに来たら会いに行くよ」
「で、でも、シゲル君研究で忙しいでしょ?」
 しまった、と思ったときにはもう遅かった。の瞳が一瞬不安でゆらいだ。僕の強引な出方のせいで昔を思い出したのだろうか。さっきの自分の口調を後悔する、きっと無意識に彼女を攻め立てる口調になっていた。サトシが絡んでくるといつもこうだ。昔は”サトシより僕の方が偉い”というようなもっと子どもっぽい理由でを責めるようなことをしていた気がするけど、今は違う。成長するにつれ、自分の気持ちを自覚したのだ。
 サトシと仲がいいのが気に食わない理由なんて単純だ、が好きだからだ。
 そんな自分の気持ちに気づいた今でも、僕の態度は何ひとつ変わっていない。それがを怯えさせることはよくわかっているはずなのに。少し昂揚した気持ちを落ち着かせるように、静かに息を深く吸って吐いた。
「大丈夫だよ、故郷の幼なじみに会う時間がないくらい忙しくはないから」
「あ、…そうだよね。私…なんかごめんね」
「謝らなくていいよ。僕こそ、ごめん」
 (どうして)
 やりとりの中には謝る要素なんて何もないのに。お互いの深層心理を読み取ってしまったかのように謝罪の言葉を交わす。相手の気持ちを感じ取ることはできるのに、どうして上手く付き合えないのだろう。

 僕は幼い頃の過ちをきちんと詫びたことがない。あの頃の関係が今の自分たちを決定づけてしまったような気がして、どう謝っていいのかわからないというのが正直なところだ。いや、謝るだけなら簡単なのだ。問題はそこから先、今の僕たちのこの溝をどう埋めるか。きっとそこが一番どうしていいのかわからなくて、こうして何年も同じところで足踏みを繰り返している。
 子ども心にふざけて誰かを傷つけたことが成長と共に帳消しになるわけではない。時間が解決することもあるけれど、少なくとも僕らの場合はそうじゃなかった。彼女のよそよそしい態度に過去の自分の影を垣間見た。は”昔の僕”が忘れられずに、こうしてどこか一線を引いたような接し方をしているのだ。これが過去の代償なのか。最初に会ってからまだ明るい笑顔は見ていない。サトシなら上手く笑わせるんだろうか。僕にはないものを持っている彼なら。
 リーグで負けた日、と会場ですれ違ったけど言葉を交わさなかった。正確には、彼女は何かを言いかけていたけれどそれを振り切って逃げてしまったのだ。あのとき彼女が伝えようとした言葉は何だったのか。あの敗北のおかげで、今の僕があるのだと思う。ただ、僕は変わったけれど、自身と彼女との関係は何も変わっていない。もし、あの時彼女の言葉に耳を傾けていれば、今の状況はもっと違っていたのだろうか。

 マサラを旅立ったあの日から、のことを思い出さない日はない。
 でも、その姿はいつも僕から目を逸らし俯いている姿ばかりだ。


09.10.29初出、20.3.12改訂